辨 |
ユリ属 Lilium(百合 băihé 屬) については、ユリ属を見よ。 |
訓 |
日本語では、江戸時代には上欄の各種の別名で呼んでいた。明治時代以降、東京を中心として次第にこのゆりをヤマユリと呼ぶようになったもの。
なお、江戸時代にヤマユリと呼んだものはササユリである(以上、牧野による)。 |
説 |
本州(中部以北)の山地に分布。
しばしば観賞用に栽培し、九州・北海道では一部逸出して帰化。 |
帯化しやすい種で、国営武蔵丘陵森林公園では 2004年に34輪の花をつけた個体が確認されたという。 |
誌 |
地下の鱗茎をゆり根と呼び、食用にする。 |
一説に、『万葉集』に、ゆり・さゆりと詠われているもの(文藝譜を見よ)は、ヤマユリまたはササユリであろうといい、
つくばね(筑波嶺)のさゆる(さ百合)のはな(花)のゆどこ(夜床)にも
かな(愛)しけいも(妹)そひる(昼)もかなしけ (20/4369,上丁大舎人部千文)
とあるのは、産地から見てヤマユリであろう、と(松田)。
一説に、ヤマユリは『万葉集』にはまったく関係がない、『万葉集』のゆりは主としてササユリ、オニユリ、ヒメユリであり、コオニユリも候補であろう、と(牧野)。
一説に、『万葉集』に詠われるさきくさ(三枝)は ヤマユリであるとする。さきくさを見よ。 |
『花壇地錦抄』(1695)巻四・五「草花 夏之部」に、「さゝゆり 中。野ニ有。白ニ黄すぢ有花。吉野ゆり共はこねゆり共いふ」と。このささゆりは、ササユリではなく、ヤマユリ。また「白ゆり 中末。芳野ゆりの白きをいふ。是に二種有。花中に黄筋なくほしもなきを上とす。大かた黄筋ある物なり」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』23 百合の条に、「和州談山ニ自生ノ百合アリ。食用ニ良ナリ、故ニ方言料理ユリト云。即芳野ユリナリ。苗ハサゝユリヨリ長大、葉モ亦大ナリ。花ハ白色、最大ニシテ尺ニ近シ。瓣ゴトニ黄道及紫点アリ。香気甚ダシ。汝南圃史ニ載ル所ノ天香百合ナリ」と。 |
お町は何か思いついたように夫に相談する、利助は黙々うなずいて、其のまま背戸山へ出て往った様だった、お町はにこにこしながら、伯父さん腹がすいたでしょうが、少し待って下さい、一寸思いついた御馳走をするからって、何か手早に竈に火を入れる、おれの近くへ石臼を持出し話しながら、白粉を挽き始める、・・・
白粉は三升許りも挽けた、利助もいつの間にか帰ってる、お町は白粉を利助に渡して自分は手軽に酒の用意をした、見ると大きな巾着茄子を二つ三つ丸ごと焼いて、うまく皮を剥いたのへ、花鰹を振って醤油をかけたのさ、それが又なかなかうまいのだ、・・・
すとんすとん音がすると思っている内に、おじさん百合餅ですが一つ上ってみて下さいと云うて持って来た。
・・・山百合は花のある時が一番味がえいのだそうだ、利助は、次手(ついで)があるからって、百合餅の重箱と鎌とを持っておれを広福寺の裏まで送ってくれた。
おれは今六十五になるが、鯛平目の料理で御馳走になった事もあるけれど、松尾の百合餅程にうまいと思った事はない。・・・ (伊藤左千夫『姪子』1909。舞台は千葉県成東地方) |